2020年夏。私は撮影の仕事で1ヶ月半をかけて日本を一周していた。
千葉から四国、九州から中国、関西へと続け旅は中盤に差し掛かり、夏の暑さと移動撮影の連続で疲れが蓄積し、ゆっくりできる場所を探していた。
ちょうど福井県に住む友人宅で2泊ほどお世話になり、その疲れを癒すことができた。
見知らぬ土地に来ると、いつも探してしまうのが、サウナ施設や旨いカレー屋さん。そして純喫茶である。
ネットで調べるよりも、地元に住む人に聞くのが最も確実で有益なことがおおい。
その中で耳に飛び込んできたのが「王朝喫茶 寛山」であった。
聞くと、あと数週間後に閉店するらしい。
なかなか福井県に来る事もない。いましか見れない消えゆく純喫茶。
これは完全に”呼ばれている”と感じた私は、ここへの訪問を最優先事項として行く事を決めた。
・本記事は、2020年8月に訪れた情報を元に作成しています
福井駅前の再開発前の街並み
ネットの情報だと「王朝喫茶 寛山」は2020年8月28日、あと2週間ちょっとで閉店するようだった。
これは、福井駅前の再開発によるものであり、寛山だけでなく周辺の区画すべてが消失する事を意味していた。
お店のほとんどが閉店しており、またはこれから閉店を予告する張り紙が貼られていた。
あるビルにあった「ユアーズホテルフクイ」は、40年余りの歴史に幕を閉じ、すでに新天地でホテルをはじめている。
勝木書店は60年も続いていたが、この場所での営業に幕を下ろす。
【福井経済新聞】福井駅西の勝木書店、60年の歴史に幕 駅周辺再開発事業で
王朝喫茶 寛山へ
そんな消えゆく街並み、人通りのまばらな商店街の中に、今回の目的地である「寛山」はあった。
ボッティチェリ「プリマベーラ」春 のレリーフ
地下の入り口。
宗教画のようなレリーフが出迎えてくれた。
これは、ボッティチェリ「プリマベーラ」春という名画。
カノーヴァのビーナス像
少し緊張しながあ扉をあけると、お店の中央にあるカノーヴァのビーナス像が出迎えてくれた。
他にも目を惹かれる場所がありつつ、数組のお客さんが居るので写真の撮影は我慢した。
それにしても、テーブル席の数がとてつもない。
わたしは迷いながらも奥のソファ席を選び、腰を落とした。
王朝のメニュー
メニューを開きみると、純喫茶の王道的な品々。
カレーやエビピラフ、ナポリタンに惹かれるが、数時間前にお昼を済ませてきてしまい、胃袋に隙間はなかった。
コーヒーのみを注文する。
巨大なステンドグラス
席から目に入る、壁側にある巨大なステンドグラスは、このお店の象徴とも言える。
閉店後にステンドグラスは、福井美術館に飾られた。
王朝の店内
地下なので電波も届きづらく、Wi-Fiもない。
仕方なく小説を読みながらコーヒーをすすり2時間経った頃、3組ほどいた客人がすべていなくなり、店内は私ひとりだけになった。
「写真を撮るならいましかない!」と、マスターに声をかけて店内の撮影をしていいか打診した。
”全国の純喫茶を撮っているカメラマン”です、と自己紹介をしてから、快く許可をいただくことができた。
1974年(昭和49年)にオープンした、王朝喫茶 寛山(かんざん)。
現在のマスターは2代目で、先代がオープンしたお店で創業47年にもなる。
東京出身のわたしは、福井県に友人が住んでいる、というくらいで、これまでの人生で訪れた事もなかったし
福井のイメージもとくに何かを連想させるものはなかった。
しかし今回の旅で、たくさんの福井を感じることができて、その一番の収穫がこの王朝喫茶 寛山と言える。
閉店前のこのタイミングで訪れることができたのは、奇跡とも言える。
1ヶ月遅かったら閉店していたし、写真にも収めることができなかったのだから。
いつもなら別れ際に「また来ます」と言えるのだけど、今回はそれが言えない。
かわりに「おつかれさまでした」と伝えた。
純喫茶に興味をもちはじめたのが2018年で、これまでそんなに多くはないが訪れてきて、閉店によりもう2度といけなくなった純喫茶は知る限り4軒目となった。
こうしてたくさんの記録を残して、だれかの懐かしい記憶の一つになればと思う。
会計を済ませた帰り際、マスターはわたしに深々を頭を下げて、「ありがとうございました」とお礼をくれた。
つぎに来た時は、このお店も景色も、何もかも存在しない。
福井に訪れた事のなかった私でも、この町のひとつひとつの建物に詰まった思い出に感傷的になりながら、
わたしは、つぎの目的地へと旅立った。
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