昭和レトロ放浪記

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【東京ちょっと昔の写真】鉄砲洲小学校(中央区湊1-4)取り壊し直前の校内

【東京ちょっと昔の写真】鉄砲洲小学校(中央区湊1-4)取り壊し直前の校内

わたしの母校である、鉄砲洲小学校。
卒業時は1クラス18人ほど。全校生徒は80人ほどしか居なかった。
都心の中心の人口が空洞化し、郊外へ人が移る「ドーナツ化現象」が起こっていた。

小さな校庭や屋上の植木コーナー。25mプール。
無骨などっしりした思い出の校舎は、いまは建て替えられて存在しない。
中央小学校の新校舎に建て替わる前に訪れた、鉄砲洲小学校の校舎を紹介したい。

鉄砲洲小学校・校舎の簡単な歴史

私が通学していた頃、鉄砲洲小学校は創立110周年の記念だったか。
歴史を調べてみると、この建物が出来たのは昭和4年(1929年)。
大正12年の関東大震災の反省から「耐震・耐火」を目的に建てられたもの。

鉄砲洲小学校の内部

2010年6月、廃校になった鉄砲洲小学校(現:中央小学校)の校舎が取壊されると聞き、これは見学せねばと友人を誘い見学することにした。
ひさしぶりに訪れた学校は、知っている先生はもちろんおらず、しかし校舎の面影はそのまま残っていた。

校庭

校庭へ出てみる。
この狭い校庭で運動会をして、徒競走をした。
学年が変わる時、朝礼で新しい先生の担任が決まるのをドキドキしながら聞いた場所。

上り棒は、力がなかったわたしは全然登れなかった。

春には満開の花が咲き誇る桜の木。
勇気の木。元気の木。やる気の木。ほかはなんだっただろうか・・・。

教室

当時クーラーはなく、扇風機で暑い夏を過ごした教室。
転校してきた友人。転校していった友人。大島から一時的に疎開してきた友人を思い出す。

理科室

私は理科の授業が好きだった。
はじまると、わくわくとテンションが爆上がりしていたのを覚えている。

音楽室

音楽で合唱をする時、友人と目配せをして「歌わない」という、謎の反抗をしたことを覚えている。
みんなに同調しないおれらカッコいいみたいな時期だったのかもしれない。
レーザーディスクで何か映像を見ながらリコーダーを吹いていたあの日。

図工室

図工の時間も好きだった。
何を作ったのか、まったく覚えていないが、ゼロから何かを作るのがとても楽しかったのだ。

屋上

休み時間になると屋上で寝転び、雲ひとつない青空を見上げていた。


鉄砲洲小学校をの現在

鉄砲洲小学校は1993年(平成4年)に京華小学校と合併。
中央小学校として使われていたが、2012年には新校舎が建ち、紹介した校舎はなくなっている。
桜の木も、すべて消滅してしまった。

鉄砲洲小学校を振り返る

というわけで、わたしの母校「鉄砲洲小学校」を紹介させてもらった。
生まれた頃の学校周辺は、木造家屋が多くひしめき、印刷工場や製本工場が軒を連ねていた。
家と家の間、ビルとビルの間を走り回っていた。
そのほとんどは消滅し、高層マンションに変わってしまった。

老朽化や耐震問題での建て替えは仕方がないが、それにしても東京の移り変わりの変化は早い。
昔の面影が次々と無くなり、悲しいかな東京への帰属意識も薄くなってしまった。

しかし、もう二度と戻らない景色を、あの校舎をこうして記録できてよかった。

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