純喫茶情報をネットの海で探していると、きらりと光る宝石のような場所を発見した。
崖の上にあって、心霊の噂やB級スポットとして有名な場所らしい。
北海道に滞在していた私は、苫小牧から1時間かけて室蘭へ立ち寄り、
昭和の時代にタイムスリップした、古い純喫茶の様子をレポートした。
・本記事は、2018年6月に訪れた情報を元に作成しています
崖の上の喫茶店
苫小牧からフェリーで東京へ帰る予定だった私は、出張の合間に片道1時間かけて室蘭へと車を走らせた。
重工業の町で発展した室蘭。
室蘭駅の町はシャッター通りになっていた。
町の中心が駅から国道へ移ったこと、鉄鋼産業の縮小や高齢化により、衰退の一途をたどっている。
シャッター通りの激しい室蘭の街並みについては、以下の記事を参照されたい。
>>室蘭〜葛西遊郭と栄枯盛衰の悲しい歴史〜
室蘭駅から南へ少し離れた住宅街。長く急な坂道にさしかかり、車のギアを3速から2速に切り替える。
携帯のナビゲーションでは到着したが、はたして店がどこだろうか。
お店の場所を示すはずの、看板や案内板がどこにも見当たらない。
周辺をぐるぐると2周くらいしたところで、あきらかに駐車場ではない民家の前に車を停めた。
ナビは、崩れ落ちた廃墟の脇のうっそうとした草の先を示していた。
この先にあるのだろうか。
階段の奥に、うっすらと赤い看板が見えてきた。
ここがランプ城に間違いない。
看板はあるものの、建物に喫茶店の雰囲気を感じない。
家の周りは草取りをされている様子もなく、看板以外はここがお店と示すものが何もない。
インターネットの情報は古く、もはや廃業してしまったか?
昭和の時代から時を止めた空間
アルミ製のサッシを横に引いて戸を開けた。
中は思ったより広い。
右手にバーカウンター。左手には広いテーブル席が五つ。
店内は外の昼間の陽光は入るものの、薄暗い雰囲気である。
やっぱり廃業しているとしか思えない。
こんにちわー
恐る恐る声をかけると、しばらくしてドタドタと音が聞こた。
カウンターの奥から、メガネをかけた女性が現れた。
いらっしゃいませ〜
閉店の雰囲気しかない店内に、私は問わずにはいられなかった。
お、お店やってますか?
はい、やってますよ。あちらのメニューからどうぞ。
(よかった、廃業していなかった。)
壁に貼られたメニュー表に目をやる。
シンプルなドリンクと、シンプルな食事のメニューである。
値段も最高値で¥500。安い。(コーヒーとオムライスが同じ値段・・・)
インターネットの情報ではオムライスが美味しそうだったが、腹は空いていなかった為アイスコーヒーを注文。
入り口に入り、左手奥の窓際の席に腰をおろす。
ソファのへたったスポンジの奥、硬いバネの感触がお尻に伝わる。
この薄ピンク色のソファは、創業(昭和37年)当時から変わっていないそうだ。
56年間、幾千人もの人がこの椅子に腰をかけた。
カウンターの奥から、ご高齢の女性マスター(桜庭シズさん)が出てきた。
足を悪くされているのか片足をかばうようにこちらに来て、
グラスに山盛りのお菓子を出してくれた。居酒屋で言う”つきだし”的なものだ。
どっから来たの?苫小牧?東京から?そう、よく来たわねー、と言って
アイスコーヒーを出してくれた。
ランプ城56年の歴史
「ランプ城」は昭和36年に創業。
昔はジンギスカン屋として深夜3時まで営業し、富裕層のお客さんで賑わっていたそう。
その後、ジンギスカン屋から喫茶店の専門店に変更。
女性マスター(桜庭シズさん)は、かつて中央町(室蘭の中心地)でバーをしていた時にお金を貯めて、
この何もなかった崖の上に、岩を切り崩して家を建てた。
家に使われている石はその時に出てきたもので、石材には困らなかったと笑って話してくれた。
崖の上の辺鄙な場所に家を建てた事を、ご両親からよく文句を言われたそうだ。
店内には数々の古めかしい物が並べられている。
天井には古いレコード。
奥の部屋見せてあげてよ、と女性マスターが娘さんに声をかける。
店の奥へ案内されると、細い廊下に二つの扉が見えた。
屏風とテーブルが置いてある、何の変哲も無い和室があった。
泊まったり住んだり出来るんですか?と聞いたが、明快な返答はなかった。
ジンギスカン屋をやっていた当時に使われていたらしい。
こういった古い喫茶店は、いつまで存在するかはわからない。
次の日にはもう閉店している可能性もある。
昭和の空気をそのまま閉じ込めたような空間で、終始興奮しっぱなしであった。
さらばランプ城
滞在1時間ほど。
帰り際に「お二人のお写真良いですか?」と撮影をお願いした。
帰りのフェリーで食べなさいと、手土産にきなこ餅やまんじゅうをくれた。
こころ暖かにしながら、階段を降りる。
おしまい
コメントを入力