昭和レトロについて調べていると、こころ惹かれる建築に出会う事が多々ある。
下町でみられる、「長屋」「看板建築」や「バラック群」の家々など。
その中でも「同潤会アパート」は異彩を放っていた。
コンクリートの無骨で力強い美しさと、風化による儚さを内包させた、芸術的なレトロ建築。
わたしが興味を持った段階では、そのほとんどが取り壊されてしまい、実際に訪問できたのは2箇所ほど。
今回はその一つ、2006年に訪問した解体直前の「同潤会三ノ輪アパート」を紹介したい。
同潤会アパートとは?
そもそも同潤会とはなにか。
1924年(大正14年)に、関東大震災の義援金で設立された団体である。
1923年(大正12年)の関東大震災では、多くの木造家屋が被害をうけた。
その反省をうけて、火災に強い不燃の鉄筋コンクリートを供給すべく、東京と横浜に計16戸の鉄筋コンクリート製のアパートを建設した。
参考👉同潤会アパート(Wikipedia)
同潤会三ノ輪アパートの様子(2006年7月)
2006年、日比谷線「三ノ輪」駅から歩いて数分、商店街を抜けて住宅街のエリアを歩く。
住所は「荒川区東日暮里二丁目」。
三ノ輪駅の他に、入谷駅や三河島駅も近く、下町の風情が残るエリア。
周辺は下町であるが、古い家屋などはほぼ建て替えられており、小綺麗な住宅街の雰囲気。
歩いていると、忽然と不気味で異様な建物が現れる。
これが噂の「同潤会三ノ輪アパート」か。
廃墟と行ってもおかしくない外観だが、寸前まで人が住んでいたらしい。
コンクリート製の外壁は、ところどころ朽ち落ちていて、中の鉄筋が見えている。
外壁が落ちるのを防止するために、ネットが被せられている。
藤澤建設(株)と不気味なフォントで書かれている。
ネットで調べていると、2009年に倒産している会社のようだった。
※2007年には「株式会社コスモスイニシア」の垂れ幕に変わっていたよう(※記事)
窓には滑落防止の手すりと、物干し竿がかけてある。
洗濯物を干しながら、横目で植木鉢の花を愛でる。
ふと強い風が吹き、あっとシャツが飛び、ひらりひらりと階下におちてしまった。
土にまみれた服をみながら玄関へ戻り、やれやれまた洗い直さないと・・・・と玄関へ向かう。
「立入禁止 三の輪アパート建替委員会」と書かれている。
撮影した時点で住民は退去している。
その後3年経った2009年に取り壊しがはじまった事を考えると長い時間がかかったものだ。
同潤会三ノ輪アパートの現在
三ノ輪アパートは1928年(昭和3年)に建てられ、2009年(平成21年)に解体された。
2010年(平成22年)のGoogleストリートビューでは、更地になり工事中の様子を見ることができる。
2020年のGoogleストリートビューでは、マンション「BELISTA東日暮里」に変わった。
三ノ輪同潤会アパートを振り返る
という事で「三ノ輪同潤会アパート」を紹介させて頂いた。
当時所有していた数万円のコンパクトデジタルカメラで撮影した為、
画質的に不満が残り、かつ内部の様子や外観ももっと撮影しておけば・・・と10数年経ったいま後悔している。
重厚でモダンな同潤会アパートは、もうひとつ「上野下アパート」を訪れているので、いずれ紹介したい。
以上で、同潤会三ノ輪アパートの紹介を終わる。
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